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審査員の方々へインタビューを行いました。

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梅本 実

 -トバイアス・マテイ記念コンクールでは年齢制限をなくしましたが、音楽を長く続けるために必要なことは何だと思われますか?

「音楽が好き」という気持ちを持ち続けられるかということが一番大切なのではないでしょうか。
小さい頃を振り返ってみると、自分より優れた才能に恵まれ、能力が高かった人はたくさんいましたが、そういう人たちが今も音楽を続けているかというと必ずしもそうではない。
現在周りで音楽に携わっている人達を見ると、共通してそういう気持ちを持続できたからではないかという気がしています。

-子供の頃や学生時代、ご自身にとってコンクールとはどの様なものでしたか?当時の想いや印象、ご経験を踏まえた現在、コンクールに求めるものであったり音楽を学ぶ方たちへのメッセージなどはありますか?

私の子供の頃は今とは比べものにならないくらい音楽の(都会と地方の)レヴェル格差が大きかった時代です。地方出身の私は小学5年生で初めてコンクールに挑戦し、結果は一次落ちでしたが、その時に審査員の一人から「基礎は全然できていないけれど、いいものもあるから頑張ってみたら!」と声を掛けて頂きました。それがきっかけで本格的にピアノを勉強すべく、毎週土曜日電車で3時間かけてレッスンに通うようになりました。コンクールに出ていなければ恐らくそのような出会いもなく、音楽の道に進むことはなかったのではないかと思っています。

-子供の頃と大人になってからの練習では、変化がありますか?

子供の頃は「ひたすら弾けないところを弾けるようにするための練習」をしていたように思います。今は当時よりは少しは音楽が解ってきたので、弾けるための練習というよりは、「作品の意味を解明し、作品が持っている魅力をより多く再現させるための練習」に専ら時間を掛けているように感じています。

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佐藤 俊

 -トバイアス・マテイ記念コンクールでは年齢制限をなくしましたが、音楽を長く続けるために必要なことは何だと思われますか?

どんなに辛くても、やめようと思わないこと。

美しい音楽を聴いたとき、美しい音を自分で出せたときに体の中に特別な感覚があること。

やはり音楽がとても好きであること。

-音楽と直接関係無くてもこんな事が役に立っている、という様なものはありますか?幼少の頃からのご記憶も含めて伺いたいです。

小さい頃から運動が好きだったこと。特に球技。絶対的な身体能力がなくても「コツ」が掴めると上手になれたから。スポーツを観ていても「これはピアノに役立つ」と考えながら観ていることが度々ある。

 
指先での細かい作業が好きであること。

凝り性であること。

辞書や地図を長時間見ていられること。

工夫することが好きであること。

 
自然の美しいものが好きなこと。

美味しいものが好きであること。

多趣味である(色々なものに興味を持つ)こと。

-子供の頃と大人になってからの練習では、変化がありますか?

大人になってから(特に仕事に就いてから)は、少ない、限られた時間で練習の効率を上げなければならないので、

自分独自の(他の人には勧められないかもしれない)練習方法を試みている。

昔より今の方が、本当の基礎を勉強し直すのに適している年齢だと思う。 

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重松 正大

-子供の頃や学生時代、ご自身にとってコンクールとはどの様なものでしたか?当時の想いや印象、ご経験を踏まえた現在、コンクールに求めるものであったり音楽を学ぶ方たちへのメッセージなどはありますか?

私の子供時代にはコンクールといってもほんの数えるほどしか有りませんでした。先生の勧めで受けてはいましたが、今振り返っても呆れるほど結果には関心がなかったです。むしろ銀座の街をうろつくことが楽しみでした。質問を受けてふと楽屋に閉じ込められた時の居心地の悪さを思い出しましたが。

大学生以降に受けたことは無いのです。何故なのかはわからないのですが、自分が敬愛する音楽家と自分の距離の大きさを知っていたからなのでしょうか。あるいは子供時代から音楽で競争という感覚とはまったく縁がなかったからでしょうか。

今日では様相も大きく変わりましたが、採点する側になってからは常に自分の子供時代を思い起こしながら行動するように努めています。
コンクールをきっかけにより良い演奏にしようと頑張ったり出来ればと願います。どのようなコンクールでも審査する人の感じ方ひとつなのです。人が代われば結果も変わります。結果には、点数や評も含めて、過度に一喜一憂して貰いたくないですね。

-音楽に生きようと思われたきっかけや音楽が特別好きになった瞬間などはありますか?

例えばバッハですが、叱られるための曲だったのがある日偶然ラジオから流れたカンタータの余りの流麗さに恍惚となりました。
中学、高校のころはステレオを大音量で流して庭で聴くのが楽しみでした。西の山端に陽が沈む時にブルックナーのコラールが響いて言いようのない感動に襲われたのも覚えています。こうした幾つもの体験は今でも私の中に生きています。

-練習が嫌になったことはありますか?

練習は取り掛かるまでは腰が重いです。大抵の人はそうなのでは?その意味では好きではないのかもしれません。実際に音を出し始めるとそうした気分は無くなります。

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清水 紀子

 -トバイアス・マテイ記念コンクールでは年齢制限をなくしましたが、音楽を長く続けるために必要なことは何だと思われますか?

音楽がいつまで経っても完成しない、キリがないので続けられるのだと思います。少しでも良いものに、と思っているうちに唯一ピアノだけは続けていました。ちなみに音楽以外は殆ど長続きせず、三日坊主です。
 
-音楽に生きようと思われたきっかけや音楽が特別好きになった瞬間などはありますか?


子供時代に夜寝るときに親が色々なレコードをかけてくれましたが、アイザックスターンのチャイコフスキー協奏曲が特に好きでした。後に、ブラームスのヴァイオリンソナタのデュオで尚一層、特別音楽が好きになりました。生まれ変わったらヴァイオリニストかチェリストになりたい、弦楽器が本当は一番好きです。
 
-子供の頃や学生時代、ご自身にとってコンクールとはどの様なものでしたか?当時の想いや印象、ご経験を踏まえた現在、コンクールに求めるものであったり音楽を学ぶ方たちへのメッセージなどはありますか?

自分の実力をジャンプさせる為のひとつの行事のようなもの。私にとっては、漫然と過ごしてしまいがちな夏休みの宿題のような存在、でしたでしょうか。ひと昔前と違って今は各地でほぼ毎月のようにコンクールが開催されています。度胸試しのような気持ちで失敗を恐れずどんどんチャレンジしてほしいです。絶対マイナスにはなりませんから、と伝えたいですね。

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内藤 晃

-トバイアス・マテイ記念コンクールでは年齢制限をなくしましたが、音楽を長く続けるために必要なことは何だと思われますか?

音楽の終わりなき探求は底なし沼のようでもあり、素晴らしい音楽に接し心打ち震える感動体験、そして自分もそういう音楽を創出したいという憧れが、より深い探求へと自分を向かわせる原動力になると思います。実は最近もそのようなかけがえのない出会いがあり、それによって自分の音楽熱がさらに高まっていることに驚きを覚えています。

-子供の頃や学生時代、ご自身にとってコンクールとはどの様なものでしたか?当時の想いや印象、ご経験を踏まえた現在、コンクールに求めるものであったり音楽を学ぶ方たちへのメッセージなどはありますか?

審査員という立場になってみると、審査員が「ミスを数えている恐ろしい存在」ではないことがよくわかります(笑)。素敵な演奏との出会いは本当にわくわくするもので、僕自身、このようにして出会った若い友人もいます。知り合いのマリンバの演奏家で、審査員とコンテスタントとして出会い、一緒にデュオで演奏活動をするようになったという例も知っています。また、コンテスタント同士の出会いというのもあり、僕の大好きなクリスチャン・フェラスとピエール・バルビゼのデュオは、ロン=ティボー・コンクールの参加者同士でした。僕自身も、ドイツのコンクールに参加した時に知り合った友人と、今でも海を越えてよく話をします。いい出会いがあるといいですね。

-好きな音楽家、尊敬する音楽家、好きな演奏家はいますか?

枚挙に暇がありませんが、1人だけ挙げるとすれば、作曲家のベンジャミン・ブリテンが奏でるピアノ。あたかも美しい詩のように想像力を喚起するピアノで、ロストロポーヴィチとのアルペジオーネ・ソナタ、ピーター・ピアーズとのシューマンやシューベルトの歌曲など、すべて絶品です。村上春樹のエッセイに「余白のある音楽は聴き飽きない」という文章があります。音楽の側で説明的になりすぎず、でも内包する豊かな世界が示唆され、僕らの想像力を引き出してくれるような音楽が好きですね。

普段どの様な練習をされていますか?

 

演奏家は役者のようなもので、作曲家が表現しようとした世界を演じ分けないといけません。その「役づくり」においては、それぞれの作曲家がどんな人だったのか(人柄)、また、どんな音楽をつくろうとした人なのか(音楽観)がとても重要だと思っていて、作曲家本人が書いたものや、弟子や友人が書いたものなどの一次資料を探求しています。重要な資料で日本語訳されていないものは山ほどあり、今年、その中のひとつである「師としてのリスト」(リストの晩年のレッスン内容を弟子ゲレリヒがメモしたもの)を出版しました。楽器のうえで暗中模索するのではなく、音色や表現の方向性に明確なイメージをもって楽器に向かうことが大切だと思っています。